お嬢様、見参2






お嬢様の見参2




「まぁ。こんな風景を一望できるなんて、素敵ですわね」
ダイニングに入って来るや否や、足早に窓際へと近付いた少女は硝子の向こう側に広がる風景に驚き、手を合わせ歓喜する。
マンションの30階以上から見下ろす風景は、確かに絶賛するに相応しいものだ。
もともと丘の上に建てられていることもあり、夜ともなればビルや家から漏れ出す明かりがそこかしこに生まれる。
小さな光の結晶は、まさに地上にできた銀河そのものだ。
「ワンフロア、ですよね。よくは存じませんが、相当お高いのでしょう?」
振り返り、少女が問う。
その動きに合わせ、長い金色の髪がさらりと揺れる。
パッチリとした、長い睫毛を持つ翡翠の双眸は優しげな眼差しを放ち、遠矢より頭一個分以上低い身長と、折れそうなほどの体躯がか弱さを呼び込んでいる。
柔らかな立ち振る舞いや、ゆったりとした口調と上品な言葉遣いからは育ちのよさが窺える。
一挙一動から感じ取れる淑やかさと華やかさに加え、零れる純真無垢な微笑みはうららかな春の陽気を思わせ、唇から溢れる声は鈴を転がすように美しい。
名前を、アーシェミリア。

「……さあ。俺が金を払っているワケじゃねぇから知らないけど、安くはないだろうな」
渋々と彼女の入室を許可した遠矢は、淡々と答えた。
ここの家賃や食費、光熱費、生活に必要なありとあらゆる金銭は、すべて雪乃の財布から支払われている。
それを甘んじて受けている遠矢に、詳細はわからない。
「それは……いわゆる『ヒモ』という状態なのでしょうか?」
「!」

悪意もなくさらりと放たれた言葉に、遠矢の頬が引きつった。

「お、俺はヒモじゃないぞっ。確かに金は入れてねぇけど、断じてヒモは違うからな!」
全力で否定する遠矢だが、心の奥底であながちその表現方法も間違ってはいないだろう、という思いが生まれる。
アルバイト経験がないわけではないが、久しくお金を生み出す労働は一切行っていない。
欲しい物があれば、すべて雪乃に頼んでいる。
これを『ヒモ』と言わずして何というのだろう?
そう、頭の中では十分にわかってはいる。
けれど、それを口にして認めることは、男としてのプライドが傷つくのか、ひどく嫌だった。

「……ンなバカなこと言ってないで、とりあえず座れば?」
遠矢はこれ以上の追及を避けるため、話題を変える。
「あ、はい。ありがとうございます。あら、もしかしてお食事のお邪魔をしてしまいました?」
ソファに座ったアーシェミリアは、箸の放り出された弁当にふと気付く。
「いや、別に……」
遠矢はぶっきらぼうに言うと、急いで弁当に蓋をする。
「一人で来たのか?」
「はい」
「何で?」
向かいに腰を下しながら、遠矢は聞く。
なるべく二人きりでの接触は避けたいが、こうなっては仕方がない。
不本意な感情を抱きながら、遠矢は覚悟を決める。
「あら。会いたかったから、ではいけませんか?」
けれど、身を構えた遠矢の耳に届いた言葉は、あまりにも予想を超えたものだった。
「あ、会いたかったぁ?」
「はい。恋人に会いたいと思うのは、当然でしょう?」
思わず語尾が上擦る遠矢に、アーシェミリアはさも当然とばかりに頷く。
「こ、恋人って……。それは、もう終わったことだろ?」
遠矢は軽い頭痛を覚え、頭を抱えた。
確かに、過去、彼女とはそういう仲であったのは事実だが、すでにその関係は終わっている。
今更『恋人』という言葉を持ち出されても、困る。
「ふふ。なんて。実は、もう一つちゃんとした理由があるんですよ?」
脱力する遠矢をよそに、アーシェミリアは髪に指を絡めながら、付け足した。
「お会いしたかったのは本当ですが、実は今回と〜っても大切なお仕事でこちらに参りましたの」
にっこり、と満面の笑みで語る彼女は、まるで遠足に心を躍らせる子どものようだ。

そんなことよりも。
彼女が口にした『仕事』という言葉……。
正直、それが何なのか気にならないでもない。
しかし、と同時に本能が聞いてはいけない、と警告をも発したのだ。
遠矢は己の直感を信じ、それ以上の追求を避け、スルーを選ぶことにした。
「ああ、そう。君がどこで何をしようと勝手だが、俺に会いたいという目的は達成したわけだし、もうウチには来るなよ?」
「何故ですか?」
アーシェミリアは円らな瞳をきょとん、させて首を捻る。
「俺は、あんたらとはもう関わり合いたくないし、できることなら会いたくない。それと、勝手に他人を家の中に入れたりしたら、俺が怒られるんだよ」
正直に遠矢は自分の気持ちを告げ、一番重要な理由を最後に添えた。
この家の世帯主は雪乃だ。
たとえ不在中だとしても、勘の鋭い雪乃のことだ。
他者が残した僅かな気配の跡を感知し、その存在を言い当てるだろう。
そうなれば、鬼の形相で問い詰められるのはこっちなのだ。
アーシェミリアと関わりたくない気持ちもあるが、雪乃の怒濤の言葉攻めに合う方が、何倍も恐ろしい。
「雪乃さんが、気になるのですね」
遠矢が気にする存在に気付き、アーシェミリアはそっと目を伏せた。

「なんつーか、ああ見えて結構嫉妬深いんだよな……あいつ」
遠矢は困ったように肩を竦める。無断外泊を続け、放置されているのはこちらなので、その間好きにすごす権利くらい発生しそうなものだが、悲しいことに遠矢に自由はない。
むしろ、彼女の保護下にない今、遠矢が動ける範囲は極端に限られ、親の帰りを静かに待つヒナのような生活を送るしかないのだ。
それに加え、雪乃は自分が不在中、状況が変化することをひどく嫌うのだ。
仲間外れに合ったとでも思うのだろう。
「俺の居場所は、もうあいつの傍だけなんだ」
「………………っ」
その言葉に、アーシェミリアは唇を硬く結び何かに耐えるような表情を浮かべながら、きゅっとスカートの端を掴む。
「…………………」
「…………………」
沈黙が、支配する。
アーシェミリアは物言いたげな瞳で様子を伺い、口を開こうとする仕草を見せつつも、結局、黙り込んでしまう。
居心地の悪い静寂が二人の間を吹き抜けて、会話が完全に凍り付く。
チクタク、と秒数を刻む時計の音が、嫌味なほどによく聞こえるな、などと、どうでもいいことを思う遠矢である。
自分が作り出してしまったとは言え、これはなかなかに耐え難い空気だ。
だが、フレンドリーな展開は、今さら望めない。
一体どういう風に会話をもっていけば、素直に帰ってくれるだろうか。
こういう分野の話題が得意ではない遠矢は、打開策を見つけられないまま、ただひたすらに頭を悩ませる。
「…………………」
「…………………」

嫌な汗が静かに流れ、心がざわつく。
本格的に沈黙が苦痛となってきた。
思考が、ぐしゃぐしゃでうまく回らない。
いっそ、自分が出て行こうか。
本気で、そんな逃げ腰な案が脳をかすめた瞬間、ダイニングと廊下を隔てるドアが、



バタン


勢いよく開かれた。



































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