王の憂鬱 王の優喜1






王の憂鬱 王の優喜1








ひょこひょこ、と肩を掠めるほどに伸ばされ、後ろで一つに結ばれた赤銅色の髪が、しっぽのように揺れている。
上質な生地で仕立てられている、細かな細工が施され煌びやかでいながら黒を基調としたシックな、どこか騎士を連想させるような衣服を、すらりと伸びた長身が着こなしている。
服の上からでも鍛え抜かれた美しい身体がほどよく強調され、ほどよい猛々しさを匂わせている。
流れるようなシャープさを持った顔立ちに、スっと通った鼻筋。
整った顔立ちの美丈夫は、近寄りがたい冷たさを宿しているような印象を受けがちだが、よく見ればややタレ目がちなオレンジ色の双眸は優しく輝き、鋭さを中和させている。
だがその立派な体躯が、時折、ふらふらと頼りない足取りを見せながら廊下を歩いていた。
山のように増えていた仕事を二日間、寝ずに処理し、ようやく職務から解放されたカイキの気力は、しぼんだ風船のようにヘタリ切っていた。
それもこれも、これから予定されているプライベートを充実させるためなのだが、少し仕事を詰め込みすぎたようだ。
優しげな面差しは、徹夜開けのためか頬に疲労の色が浮かび、オレンジの瞳も、曇っている。

(や、辞めたい……。王族を、今すぐ辞めたい)

スノーシェリカ城。
そこが、生まれた時から自分に与えられた住処だった。
なんとも変わった名前だが、その由来は、初代の王が心底信頼し、この国の建国に大いに関わったとされる盟友の名から取ったものだと伝承されている。
文献によれば、とても美しく聡明な女性で、一説によると王は淡い恋心を抱いていたとかいないとか。
国の象徴とも言える城に想い人の名前を付ける先祖のセンスは理解できないが、贅沢な暮しの穏健を直に受けている身としては、下手に文句も言えない。

ここが普通とは異なる特別な場所であり、自分もまた『王族』という特殊な肩書きを持つ特別な存在なのだ、と認識したのは、一体いつだっただろうか。
物心が付く頃には数名の世話係が付き、日常すべての用を補ってくれた。
城に出入りする、数を把握することすら困難なほど大勢の大人たちが、ペコペコと頭を下げ、時に媚ながら自分を敬う。
自分の言葉は特別で、我が儘さえも命令すれば逆らえる者は、使用人の中には誰一人として存在しない。
それは無知な子どもにとって容易には手放すことのできない、とても甘美で、魅惑的な感覚だった。
故に、思い返すだけでも恥ずかしいほど奢りの強い子供に育ってしまっていたのだが、ひねくれた根性は少年期に粉々に四散させられ、すっかり更生している。
自分でいうのも何だが、その点はいい具合に進んだといえよう。


「カイキ様ぁ!」
ぼんやりとしていたカイキは、上擦った声で名を呼ばれ、足を止めた。
猫背気味だった背筋を伸ばしてだらけていた表情を引き締め振り向くと、見事に磨かれた禿頭を光らせた恰幅のいい男がハンカチで汗を拭いながら小走りに駆け寄ってくる姿が見えた。締りのないたるんだ全身は、まるで一匹のトドが全力疾走しているようだった。
「ハァハァ。さ、捜しましたぞっ。護衛を撒いてお一人で行動なさるのは、ど、どうかお止めくださいっ……」
重い巨体を必死に動かしてすっかり息の上がっている家臣のゴードンは、乱れた呼吸をそのままに言葉を紡ぐ。
ぜぇぜぇと荒い息使いと、それに合わせ激しく上下する分厚い脂肪。
卵のような丸顔はうっすら赤みが差して、頬を汗が伝う。
「俺より腕の劣る護衛を付ける必要はない、と前に言ったが?」
うんざりした声でカイキは答えた。
せっかく鬱陶しい護衛を撒いたと思えば、今度はそれに対するゴードンの苦情だ。
身辺警護が与えられた任であるとは言え、四六時中、周囲を固められるという現実は、いつになっても耐え難い。
「それよりゴードン。俺はこれから三、四日ほど城を留守にする。後は任せたぞ」
「はぁっ?な、何を酔狂なことを仰るのですか!」
突然の言葉に、ゴードンが目を剥く。
「うるさいぞ。至急の仕事はすべて片付けている。問題ないだろう」
「大問題ですっ。どこの世界に三、四日も行方をくらませる王がいるのですか!」
納得できないゴードンは、頭を抱える。
そんな困惑する彼を尻目にカイキは再び歩き出す。
早く部屋に戻り、出かける支度を整えたかった。
だが、逃げるように去って行くカイキを、ゴードンは逃すまじ、と追って来る。
付かず離れずの距離を保つ彼に、カイキは仕方なく同行を許す。
左右に並ぶ天井まで届いてしまうほど大きな両開きの扉を何十枚とやりすごし、代わり映えのしない廊下をひたすら歩く。

一体、この城にはいくつの部屋があるのか。
主であるはずのカイキですら把握できてはいない。
子どもの頃、部屋の数を調べてみようともしたのだが、迷路のように広がる地下や秘密通路の数に途中で放棄してしまったのだ。
永遠に続くと錯覚してしまいそうなほど長い廊下を進み続け、時折すれ違い、礼を取る家臣たちの姿を視界の片隅で受け止めながら、ようやく辿り着いた階段を上へ上へと上がり、さらに続く廊下を進む。
すると、一際豪華で頑丈な扉と、扉の前で佇む二人の男がカイキの目に止まる。
厳重に護られ入室を制限される扉の向こうにある場所が、カイキの目的地である自室だった。
兵士の二人はカイキの姿を見つけると素早く姿勢を正す。
それに応えるわけもなく扉の前に立てば、ゴードンが扉を開ける。
そのまま、自室へと入る。
ゴミ一つ転がっていない、掃除の行き届いている部屋。
しん、と静まり返った室内でふわり、と風が頬を撫でた。窓が、開いていた。
開け放たれた窓から舞い込む心地のいい風が、白いカーテンをヒラヒラと揺らしている。
カイキの自室は煌びやかだが、シンプルな空間だった。
広い部屋全体を照らす巨大なシャンデリアは宝石の華が咲き、白い壁紙が光を反射させている。
本棚の中にはびっしりと小難しい書物が陳列され、部屋の中央には天蓋付きのダブルベッドが置かれている。
端の方には机が用意され、その上には書類が山積みとなり、カイキの手に触れることを今か今かと待ちわびている。

「………………。」
その書類を気づかないフリでやり過ごし、カイキはベッドの脇を素通りし窓際まで移動すると、揺れ動くカーテンを引く。
その奥にある半開きの窓をスライドさせると、暖かな風に髪を攫われて乱された。
秋に差しかかったばかりだというのに夏の気配を残した風は、今年の夏の猛暑を思い起こさせる。

そして風の中に、黒髪をさらさらと流しティータイムを楽しんでいる少女がいた。
自然とカイキの唇が緩み、笑みが零れた。

































































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