お嬢様の見参1






お嬢様の見参1





日曜日。
せっかくの休日も、スケジュールが真っ白な遠矢の起床時間は、とことん遅かった。
遮光カーテンを開けると太陽はすでに真上へと昇り、真夏の容赦ない日差しが一気に室内に降り注ぐ。
身なりを整え、部屋から出た遠矢はそのままキッチンへと向かう。
対面式のシステムキッチンは手入れが行き届き、目立った汚れも見当たらず綺麗なものだ。
何気なく置かれている調味料やまな板は、一体いつ触ったきりだろうか、と首を傾げるほど自分とは無縁な存在で、そもそも料理自体できない遠矢にとってキッチンは、出入りさえするが使う機会はそうそう訪れない場所だった。
遠矢は冷蔵庫を開け、コンビニで買った弁当とオレンジジュースを取り出す。
奥に、三つセットのプリンが封を切られないまま放置されている。
出来合いの食料が無造作に詰め込まれている冷蔵庫を見る度に、自分は一人なのだという現実を再認識させられる。
今日がいつもと変わらない日常であるならば、今頃は温かな昼食がテーブルの上に並んでいるはずである。
見かけによらず、実は甲斐甲斐しいほど世話好きな雪乃は毎日欠かさず手料理を振舞って遠矢の胃を満たしてくれる。
手料理ばかり食べ慣れ、たまには外食や弁当が続いても問題はない、と密かに思っていた遠矢だが、いざそうなってみると案外箸が進まないもので、たった二日間で彼女の手料理が懐かしくなっている。
こんなことは、恥ずかしくて本人には口が裂けても言えないが、どうやら自分は完全に彼女に胃袋を掴まれてしまったらしい。


「これじゃあ、俺も人のことをとやかく言える立場じゃないよなぁ……」
はぁ、と自己嫌悪のようなため息を付いて、遠矢はダイニングへ向かう。
耳を塞ぎたくなるほど飛び交うくだらない会話も、自分に向けられる揶揄や叱責も聞こえず、ただでさえ広いダイニングに一人でぽつんといると、認めたくはないが寂しさが擡げる。
さらに部屋の隅には空のダンボール箱が無造作に積み上げ置かれており、嫌でも『引越し』という言葉を意識させられる。
けれども、突然と引越しを宣言した本人は不在が続き、故に準備もほとんどできていない状態である。
本当に、住居を変える気があるのだろうか。
またいつもの気まぐれな思いつきなのではないだろうか、と疑いたくなる。
遠矢としては、ここは割と気に入っている場所でもあるし、準備も面倒くさいので引越し自体がなるなればと思っているのだが、すべては雪乃の決断次第である。

「あ。確か祭りって今日だったような……」
遠矢はソファに腰を降ろし、テーブルの上に放置されたチラシの束を見つめる。
スーパーの特売を報せるカラフルなチラシの中に、無地のシンプルなチラシが一枚、混じっている。
近所の神社でひらかれる、夏祭りのるチラシだ。
一緒に行こう、とチラシを振り回しながら誘ってきたのは雪乃だというのに。
当日になっても帰ってこないなど、どういう了見だ。
「ったく。一体どこで遊び回ってんだか。電源まで切りやがってっ」
遠矢は己の携帯電話を、こつん、と叩く。
何度かけても繋がらない雪乃の携帯電話と、鳴らない自分の携帯電話。
他意はないだろうが、まるで拒絶されているような錯覚を覚え、忽然と姿を消した雪乃に苛立ちが募る。
けれどいくら遠矢が不機嫌になったところで、雪乃の居場所はわからない。
唯一わかっていることは、近くにいないということだけだ。

「アホらし。考えるのヤメよ……」
考え込んで、状況かよくなるわけでもないのだ。
「メシ食って寝よ……」
雪乃が帰ってくるまで好きな物で好きだけ腹を満たし、好きなだけ寝ていよう。
何となく不貞寝のような気もするが、他にやることもない。
仕方ない、と頭を切り替え、自堕落な休日を過ごそうと弁当へと手を伸ばす。
その時。

ピンポーン、と来客を報せる軽やかな音が聞こえた。
「あ?」
滅多に鳴らないインターフォンの音を耳にして、遠矢は眉をひそめる。
ピンポーン、とまた鳴った。
一度は音に驚き手を止めた遠矢だが、ソファに座ったまま動く気配を見せず、ちらりと玄関の方を一瞥しただけで、すぐに視線を戻す。
呼び出しに応える気など、なかった。
何故ならば、来客のほとんどが雪乃目当ての場合が多いのだ。
本人が不在の今ではどうしようもない。
それどころか、真面目にのこのこ出て行って伝言を頼まれるようなことにでもなれば、面倒臭い以外の何者でもない。
そのうち相手も諦めて帰るだろう、と決め込んで遠矢は食事をはじめる。

が。

ピンポーン。

ピンポーン……ピンポーン。ピポピポピポピポピポン!

「うるせぇぇぇぇ!」
連打をはじめたその音に、遠矢は勢いよく立ち上がる。
人の耳に届きやすい音階を持つそれを、しつこく鳴らされては堪らない。
「くそっ。出ればいいんだろう出ればっ!」
遠矢はやけくそ気味にそう叫び、インターフォンと繋がる画面へ向かう。
苛立たしげに画面の中に映る来客を睨みつけた遠矢は、そこに立つ人物に面食らう。
画面の中には、大きな帽子を目深に被ったサングラス姿の人影がこちらを見つめていた。
「だれっ!」
思わず、叫んだ。
白く大きなツバで顔に影を落とし、色の濃いサングラスで表情を隠している。
僅かに見える体型や衣服から女性であろうとは推測できるが、まるで素顔を隠すような出で立ちと映り方に、遠矢は警戒心を覚える。

(やだなぁ。おかしな奴だったらマジで勘弁なんだけど……)

遠矢は、眉根を寄せる。
顔を隠しインターフォンを鳴らし続ける女の姿は、通話ボタンのオンを躊躇させるには十分な要素を持っている。
どうしよう、と遠矢の思考が混乱する。
絶対に関わり合いたくないけれど、対処方法もわからない。
このまま居留守を使ったとしても、チャイムのしつこさから推測するに、相手が大人しく帰ってくれるとは思えない。



ピンポーン………ピンポーン。


遠矢が考えている間にも、鳴り響く。

(ええいっ鬱陶しい。もうどうとでもなれっ!)
遠矢は半ば投げ出すように、考えることを放棄する。
「おい、お前っ。誰だか知らねぇけど、さっきからピンポンピンポンうるせーんだよ!」
遠矢はボタンを叩き、やけくそ気味に叫んだ。

『まぁ、その声はカズキさん!』
だが、威嚇する遠矢の耳に飛び込んできたのは、嬉しいような驚いたような弾む声で……。
「え?」
虚を突かれ、ぽかん、とする遠矢の目の前で、急いで帽子とサングラスが外される。
目に飛び込んできたのは、笑顔を浮かべた一人の少女だった。
『よかったぁ。いらしたんですね』
スピーカー越しから届く、どこかホッとしたような声。
「……………………。」
それまで湧き上がっていた苛立ちが弾け飛び、代わりにだらりと冷たい汗が頬を伝う。
幻聴でも、幻覚でもない。
『早く、開けてくださいませ』
「……………………。」
溢れる笑みを絶やさず佇む彼女を目の前に、己の忍耐力の乏しさを本気で呪い、溢れる後悔に、遠矢は脱力した。








































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